No-IsのNoはNothing。「なにも無い」というのは、そこに最初から無い状態より、なにか在ったものが無くなった状態を見た時に強く感じられる。東日本大震災から1年経った岩手県大槌町で、津波に流されて平坦になった町の跡を見た時、我々は一瞬のノイズなのかもしれないと思った。その光景をいまも忘れることができない。
松田彰は震災後「備忘録・日記シリーズ」という連作を描き続けている。彼も震災の爪痕を心に刻んで忘れることができない一人である。「日記シリーズ」はこれまでに900点余りになる。今回はそのうち52点と120号の新作を展示する。「鉛筆の行為としての自覚」が生み出すそれらの作品は、松田の生きた所在の証であり痕跡であると同時に未来へと向かう不屈の意志でもある。
濱大二郎は東日本大震災が起こった時カナダから日本に向かう飛行機の中にいた。隣席のアメリカ人に教えられ濱はそこで初めて震災のことを知った。アメリカ人は濱に「あんたは運が良い。この機会でなければ知り得ないことを経験できるのだから」と言った。それから濱が描く絵には人物が頻繁に登場するようになった。今回そこからさらに一歩前に進んだ濱の新作は人の肌のように柔らかく温かい。
鉛筆と墨という黒一色の素材を使う2人が描くNo-Is は、しかしどこか明るい。たとえ一瞬でも、この宇宙に光と音は絶えることがないというように。
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