三人のポール
名付けるのは個人を特定するためであろう。個人は特定されて初めて存在する。兄弟で同じ名前では親は困るだろうし、小学校のクラス全員が同じ名前だったら教師はどうするんだろう、幸いそんな場面はない。日本人も昔は太郎とか次郎とか色味のない名前もあったが、今は違う。だからキリスト教圏の人の名前が聖人から取った名前のために個性のない同じ名前が並ぶことに、ときに「はあ」とおもう。
ポール・ヴァレリー(1871~1945)、ポール・クローデル(1868~1955)、ポール・セザンヌ(1839~1906)の3人は、ともにポールという名前である。
ポール・ヴァレリーは詩人であり、フランスが誇る最も著名な文学者である。その詩集「海辺の墓場」の一節に「千の甍」という言葉がある。ヴァレリーは地中海の海原を見て、海面のさざ波をまるで甍のようだ、光を受けて黄金のように輝いていると表現している。私は、北フランスに広がるアルドワーズ(粘板岩スレート)のメゾンの屋根が夕日を受けて光る態(さま)を連想した。近年の私の作品タイトルは、『千の甍』である。
ポール・クローデルもまた詩人であり、外交官でもあった。在日本フランス大使として1921~1927年(大正末期から昭和初期)日本に滞在した。そのとき、長野方面に旅をしたおり、詠んだ歌の一節に「三角形は飛ぶよ」とある。おそらく白川郷の大きな三角屋根を眺め、形容したものだろう。
ぶっちゃけ、私の造形原理を一行で云ってしまうと、
「現代社会とは並列的空間である。私はそれを表現する。」
遠近法やヒエラルキーのある空間構成は拒否する、そのために並列空間は有効だ。この論理で数十年自分を縛ってきた。その呪縛から逃れたのがこの「三角形は飛ぶよ」という一節だ。この言葉によって四角形や三角形が並列的に並ぶ画面が吹っ飛んだ。さらには三角形の一辺までも吹っ飛んで、L型やヤマ型のフォルムが現れた。
ポール・セザンヌからは、タンペラマン(気質)という言葉をいただいた。三角形が飛ぶと同時に、そもそも並列空間とは何か、そういう論理を展開する以前に三角形のフォルムが好きだったんだろう、だからそれに固執してきたんだろう、そういう思いの根拠がタンペラマンである。
ポールは、キリスト教の聖人パウロのことだ。誕生日によって子供の名前を決める習慣もあるフランスではあるが、それぞれ10月30日(ヴァレリー)、8月6日(クローデル)、1月19日(セザンヌ)と違う。
蟻にはたぶん名前はない。が、あってもいい。100匹いてもみんながポールかもしれない。私の好きな三人のポールはほぼ同時代を生きているから、なんらかのシンパシーを感じ合ったかもしれない。あるいは、ポールなんてどこにでもある名前だからと、まったく意に介さなかったかもしれない。名前なんか無くっても、たぶん、やってけるはずなのを蟻さんに聞いてみるのも一案だ。人間もまたちっぽけだし、名前なんてなくっていい。 |